未来調達研究所コラム「取適法施行後、これまでに見えてきたこと」(2026/10/2)
筆者:坂口孝則 未来調達研究所株式会社 経営コンサルタント
大学卒業後、メーカーの調達部門に配属される。調達・購買、原価企画を担当。バイヤーとして担当したのは200社以上。コスト削減、原価、仕入れ等の専門家としてテレビ、ラジオ等でも活躍。企業での講演も行う。著書に『調達力・購買力の基礎を身につける本』『調達・購買実践塾』『だったら、世界一の購買部をつくってみろ!』『The調達・仕入れの基本帳77』『結局どうすりゃ、コストは下がるんですか?』(ともに日刊工業新聞社刊)『牛丼一杯の儲けは9円』『営業と詐欺のあいだ』『1円家電のカラクリ0円iPhoneの正体』(ともに幻冬舎刊)『会社が黒字になるしくみ』『思考停止ビジネス』(ともに徳間書店刊)など20冊を超える。
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「坂口さん、これ、いつまで預かればええんでしょうね。おれが死ぬまでに返せるやろか」
坂口とは私のことで、かつ正しい関西弁を思い出せないのだが、兵庫県のある機械部品メーカーの倉庫で役員が倉庫の奥を指さしながら教えてくれた。並んでいるのは金型だ。その型を使った最後の発注は2年前だったそうや。失礼。だったそうだ。
顧客からは「補給品が出るかもしれないから、置いといてくれへんか」といわれたきり、その後に発注はない。それでも役員は年に1回、従業員に防錆処理と棚卸をさせている。もちろん無償だ。
「うちから催促するのも、角が立ちますからね」
この光景は、けっして特殊な例ではない。日本の製造業の倉庫には、たいてい似た棚がある。私は運がいいことに、その取引先にも知人がいる。その知人に聞いてみた。「ああ、私はその担当者とちゃいますけどね。でも、担当はがんばっているんじゃないかな。でも社内に伝えても、よう答えへんのですよ。設計者も営業も、あと何年くらい使うかわからんから、調達に返答できない。だから調達もその機械部品メーカーさんにはっきりしたことがいえへん」
もしかしたら、これはこれまでならありふれた話だったかもしれない。さらに、誰もが先送りしていたかもしれない。しかし2026年1月1日、その棚は突然、法的リスクの塊に変わった。

2026年1月1日、いわゆる下請法(正式には下請代金支払遅延等防止法)が抜本的に改められ、中小受託取引適正化法(取適法)が施行された。
背景にあるのは、原材料とエネルギーの高騰、そして労務費の急騰だ。中小企業がコスト上昇分を価格に転嫁できなければ、賃上げの原資は生まれない。サプライチェーン全体で経済の好循環をつくる、というのが政策目標として明確に置かれている。岸田文雄内閣からこの潮流は続いている。
実務上、影響が大きい変更はいくつある。
第一に、適用範囲だ。従来の資本金区分に加え、従業員数基準が併用される。減資による形式的な規制回避が封じられる。中堅規模の取引先までが保護対象に入った。
第二に、対象取引の拡大だ。製造委託など従来の類型に、「型」とは金型だけではなく木型・治具等の工作物保持具にも広がるし、特定運送委託が加わった。金型以外の専用工具類、そして物流委託が対象となる。
第三が支払手段だ。手形払いは原則禁止となり、即時換金が難しいのであれば、電子記録債権や一括決済方式も排除された。受領日から60日以内の現金払い、あるいは電子的な即時決済への移行が必須だ。
第四に「協議に応じない一方的な代金決定」が禁止事項として新設された。価格が安いかどうか以前に、協議をしなかったこと自体が違反になり得る。嘘やろ、と思って確認してみたところ「値上げはしたけれど、申請があって協議しなかったら、抵触しうる」みたいだ。
同時に執行のスタイルも変わった。通報を待って受動的に是正指導する時代から、能動的に調査し、実名で公表する時代へ移っている。「うちは通報するような取引先はいない」という認識は、もう前提として成り立たない。または、意識を変えたほうがいいやろね。失礼。いいでしょうね。

さきほど「社内に伝えても、よう答えへんのですよ。設計者も営業も、あと何年くらい使うかわからん」という調達部員の社内での葛藤を伝えた。
直近1〜2年の勧告事例を読むと、あることに気づく。勧告を受けているのは、悪質な代金の踏み倒しではない。もちろん個人的に金銭を要求したという話でもないんですよね。数十年にわたって「うちの業界ではふつう」「昔からこうしている」とされてきた業務プロセスが、そのまま違法と認定されているわけね。とほほ。
あるメーカーは、発注後に「割戻金」名目で代金を一律に差し引いていた。これまでならば機械的な処理だったかもしれない。でも、ダメとみなされた。返還額は30億円を超えた。
ちがうあるメーカーは、量産終了後の金型600型あまりを、24社に無償で長期保管させていた。別の自動車部品メーカーでは、金型・治具880個を14社に預けたままにしていた。ある自転車部品メーカーは、次の発注時期が決まっていないにもかかわらず、金型の現状確認と棚卸を年2回、無償で下請事業者にやらせていた。ある熱交換器メーカーに至っては、43社に4,311個である。
さらに、あるこれまたちがうメーカーは、自社の都合で「まとめ生産」をさせておきながら、完成した部品の受領を先送りし、下請(中小受託事業者)の倉庫に無償で置かせていた。
これらを整理すると、現場で起こりやすい違反は、おおむね次の分類に収まるみたいだ。
ひとつ目は、金型・木型・治具の無償保管と、それに付随するメンテナンスの強制である。「補修用部品の供給義務があるから」という理由で、サプライヤの敷地を無償の倉庫として使う。しかも防錆、点検、棚卸といった工数まで負わせる。これは保管と付帯工数の双方が、独立した違反として認定されている。
ふたつ目は、不当な付帯作業の要請だ。荷崩れ防止処置、仕分け、バリ取り、再梱包、ラインサイドへの納入代行、検査の代行。正式な発注書面も追加費用の取り決めもないまま、現場レベルで頼んでしまう類のものである。
三つ目は、原価高騰を無視した買いたたきと単価据え置き。最低賃金の改定やエネルギー価格の高騰という客観的事実があるとき、サプライヤから要請がなくても協議の場を設けないこと自体が問題視される。量産時に決めた単価を、量産終了後の補修部品や小ロット試作にそのまま適用するのも典型例だ。
四つ目は、減額・返品・受領拒否の常態化である。割戻金、協力金といった名目での差し引きは、たとえサプライヤから合意書面を取っていても違法となる絶対禁止規定だ。振込手数料を代金から差し引くことも、事前の合意の有無にかかわらず、減額にあたる。
五つ目が、価格協議の不実施と形骸化だ。価格改定の申し入れ書面を受け取ったまま回答を放置する。協議の場は設けるが、結論ありきの予算額を通告し、相手の根拠資料は検討しない。これが新設規定に直撃する。

調達部門の管理者と話していて、いちばん多い質問はこれだ。
「結局、何パーセントまでの値引き要請ならセーフなんですか」「取適法の勧告を受けないためには何年までだったら型を保管させて問題ないのですか」「バナナはおやつに入るのですか」
答えは、残念ながら「そういう線は存在しない」だ。すべては総合的に判断される。買いたたきや不当な代金決定に該当するかどうかは、価格の乖離幅という数値の閾値では判断されない。対価の決定にいたったプロセスが妥当だったか、という相対的・総合的な評価で決まるものだ。
公的統計や市場動向を根拠として反映したか。サプライヤと十分な情報交換をしたか。仕様変更や納期変更に伴うコストの増減を反映したか。そして相手が、自由な意思で合意できる環境にあったか。
だから、市場実勢より安く買っていても適法になり得る。適法とまではいえないかもしれないが、お咎めなしの企業は現実的にたくさんあるだろうよ。サプライヤの合理化努力を双方が共有し、納得のうえで合意したプロセスを立証できればよい。逆に、市場価格と同水準に見えても、労務費高騰の協議申し入れを一蹴して据え置けば、その時点で違法と判定される。
適法性は「いくらで決めたか」ではなく、「どう決めたか、それを説明できるか」も問われる。
ここで、多くの企業が壁にぶつかる。プロセスの妥当性を、事後に客観的に立証できないのだ。ここに私の主張の肝要があるのですね。
考えてみてほしい。見積依頼、価格交渉の経緯、仕様変更の協議、短納期対応の要請。これらはいまも、担当者個人のメールボックス、電話、手書きのメモ、ローカルに保存された表計算ファイルに分散している。
いっぽうで、基幹システムに登録されているのは何か。品目コード、確定単価、確定納期。つまり「結果」だけである。なぜその単価になったのか、サプライヤはどう主張し、自社はどんな根拠で回答したのか――「判断の証跡」は、システムから完全に抜け落ちている。
この欠落はリスクを生む。
第一に、立入調査や社内監査で過去の経緯を遡ろうとしても、担当者の異動や退職で記録が散逸している。結果、正当性を立証できず「協議を尽くさない一方的な決定」と判断される。
第二に、生産技術や製造部門が調達を通さずサプライヤへ直接依頼した金型保管や手直し作業が、全社の可視化から漏れる。潜在的な違反が、誰にも把握されないまま放置される。
第三に、自主点検をやろうとするたび、事業所ごとに散らばった紙とメールを手作業で集めて突き合わせることになる。負荷が大きすぎて、点検そのものが形骸化する。
課題は、購買担当者が法律を知らないことではない。取引情報が、発生から合意、変更、支払までのライフサイクル全体として一元的に残っていないことである。
全取引先・全部品を均一に点検するのは、有限のリソースでは不可能だ。実効性を持たせるなら、影響度と発生リスクの2軸で調達ポートフォリオを分類し、優先順位をつけるしかない。
影響度は、年間発注金額、サプライヤ売上に占める自社比率、金型や製品の固有性で測る。発生リスクは、価格改定が行われていない期間、量産終了後の金型・治具の滞留、仕様変更の頻度、個別見積の属人化の度合いで測る。
高影響かつ高リスクの象限が最優先是正領域だ。自社依存度が高く、3年以上価格改定のない専業サプライヤ。量産終了から1年以上経った金型を多数預けている先。ここから手をつける。これはけっこう、ヤバいとみなせる。
低影響・高リスクの象限は標準化と集約の対象になる。多品種少量のスポット加工、現場が直接発注してしまっている小口取引などがここだ。高影響・低リスクは重点モニタリング、低影響・低リスクは定期サンプリングでよい。

法規制が厳しくなったとき、多くの企業が最初に選ぶのは、チェックリストの追加と、現場の注意喚起だろう。メールとエクセルの運用はそのままに、保存すべき証跡だけを増やす。
これは、ほぼ確実に失敗する。調達担当者と現場エンジニアが事務処理に埋もれ、本来やるべき戦略的なソーシングやサプライチェーンの強靱化が止まるからだ。しかも、点検の負荷が重いほど、点検は形だけになっていく。
目指すべきは、法令対応のためのコスト増を受け入れることではない。サプライヤとの取引基盤を整えることで、適正取引の担保と業務効率化を、同じ仕組みの上で同時に実現することである。
一つは、価格協議のワークフロー化だ。メールと口頭でやっていた交渉を、基盤の上に集約する。サプライヤが改定理由を入力する際、企業物価指数や毎月勤労統計、地域別最低賃金といった公的データを引用できるようにする。発注側も、回答理由と査定ロジックを記録として残す。こうすれば、監査時に「対等な協議を経た合意」を証跡として即座に取り出せる。
二つ目は、変更管理のバージョニングである。設計変更や納期変更が起きたとき、確定データを直接上書きさせない。起案、差分見積、相手の合意をタイムスタンプ付きで履歴として残す。
三つ目は、貸与資産の自動照合だ。サプライヤに預けている金型・治具のマスタと、日々の発注トランザクションを突き合わせる。最終発注から一定期間が過ぎた資産にアラートを出し、保管料の支払いに関する覚書の起案、引き取り、合意にもとづく廃棄のいずれかをタスクとして自動生成する。
重要なのは、これらが「法令対応のための機能」ではない点だ。取引情報が電子化され、サプライヤと安全に共有され、経緯が自動で残る。
取適法の施行と厳格化した執行が示しているのは、現場の注意力と担当者個人の法令知識に依存する「精神論のコンプライアンス」の限界である。
まず放置された金型・治具の全数調査と、代金控除ルールの撤廃、支払手段の切り替えを終わらせる。次の半年で、価格協議を制度として定着させる。要請を待たず、こちらから協議月間を設定して一斉に実施する。そして6〜12か月で、取引基盤によるシステム的な統制を完成させる。法令要件を満たさない取引は、そもそも先に進まない。そういう設計にする。
適正な協議と支払いは、サプライヤの設備投資と人材確保を支える。それは巡り巡って、自社への安定した品質、納期の遵守、そして共同開発の機会として返ってくる。
冒頭の役員はこういった。「うちの倉庫が一杯なのを、知っても何もやってくれんからな」。ただ、調達部員にとっても動きたくても動けない案件だった。だから調達部員は知っていて「何もやらへん」のであるが、それはきわめて大きなリスクを抱えているのだ。
型を棚から下ろすには、まず社内で棚上げしてきた判断を下ろさなければならない。おあとがよろしいようで。
取適法では、価格協議や仕様変更、サプライヤとの合意形成など、「どのように決定したか」を説明できることが重要です。
しかし、メールやExcelに情報が分散していると、取引の経緯や判断根拠を継続的に管理することは容易ではありません。
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